フォノグラム狂騒曲 エピソード1 ~内在世界の旅人~

フォノグラム狂騒曲 エピソード1


◇ はじめに

みなさん、こにゃにゃちゅわ~!
久しぶりの記事投稿になります。
KENT概説執筆で、心身共にかなり消耗してしまい、研究を長期休息いたしておりました。
研究って、魂と生命力すり減らしてやってるんですね~
おっちゃんも、いい歳なのでそろそろバトンタッチ考えないといけませんね~
とかいいながら、カポエラ練習する体力はあるんです。(おにょ日記
なんだろうな~研究で消耗するのはもっと根源的な何かを削られていく感じなんです。
回復にもう少し時間がかかりそうというか、新しい着想までもう少し時間がかかりそうなので、



の全文掲載と解説記事を書こうと思います。
いつもの記事と違ってもう少し気楽に読めるんじゃないかなと思います。
等音面の実証実験とそれにまつわる人生ドタバタ劇!をノンフィクション小説風に書いてみました。
この論文をとある学会で発表したときの裏話や特許取得にまつわるオモシロ話、今振り返りますと、この辺りが大きな人生の転換期であったように思えます。
また、バカボンとの共同研究も、「磁界の謎」に切り込みはじめ、日々、様々な議論が重ねられています。
そんな中、この磁界研究には、私の過去の研究も必要になってくると直感し、そういう意味もあり、今回の解説記事を書くに至りました。
特に、等音面の確率過程量子化による数学表現が必要になってくるのですが、それについては今回は扱いません。
しかし、そこに向かうためにも今回のこの記事がどうしても必要になってきます。
バカボンと議論を重ねるにあたり、垣間見ている世界は同じだがその表現法が違うだけだということが多々あります。
つまり、共同研究っていうのは、言語の違うもの同士が概念をすり合わせることで真実を確かめ合うようなものなのです。
そして、違う者同士が同じものを見ているが、見ている窓がやはり異なるため、盲点というものが絶対に出来てしまいます。
このお互いの盲点を炙り出すのが共同研究の本当の価値なのだと私は思います。
だから、お互い、絶対に安易な迎合はしませんし、わかりあったフリもしません。
真実に対する誠実さとはこのようなことを指して言います。
この誠実さこそが、共同研究を行う推進力になります。
今回の記事は、バカボンに出会う以前のエピソードです。
ではさっそく、物語に進んでいきたいと思います。


*ヴァイオリンのフォノグラム(音の図形)

目次

はじめに
第一章  棚から牡丹餅
第二章  誰にも見えない音の図形
第三章  デジタルデータ以外は意味をなさない
論文   音が造る形(全文掲載)
第四章  冷たい世間の反応
第五章  特許申請ゲーム
第六章  天啓を頂く
おわりに


◆第一章  棚から牡丹餅

今からちょうど6年前になりますかな~
フォノグラムの実証は不可能なんじゃないかと思い、半ばあきらめていました。
20年近くの歳月をかけて、全てを投げうって、結局何一つ実を結ぶことなくこのまま終わるのか、、、そう思いながら毎日を過ごしていたような時期だったと思います。
親兄弟親戚一同、自分が一体何をやっているのか全く知りませんでした。
それもそのはず、自分が何をしているのか自分でもわからず、誰にも話してこなかったからなのです。
実証さえできれば、、、その思いも消えかけていたところに奇跡が起きたのです。

当時、現物としての等音面は完成していましたから、なんとか、商品化できないだろうかということで、いろいろとその可能性を探っていました。

*フォノグラムを駆使して造った等音面ヴァイオリン

その時に、振動スピーカーというものを偶然持ち込んでくれた人がいました。
この振動スピーカーは、そのままではかすかな音量しか出ないのですが、振動板に当てると振動板の音響特性によってその音色が変わって聞こえるというものです。
自分の作ったヴァイオリンやビオラに振動スピカーを当ててスピーカー代わりにしたら、とんでもない深い音を出すことに気が付きました。
最初は、自分用の最高のスピーカーとして、ただ単に楽しんでいたのですが、何かの拍子で振動スピーカーを聴診器のように使って、振動板の音色の変化を調べ始めたのでした。


*振動スピーカーを聴診器代わりに使う

そうしたら、フォノグラムの渦巻き(黒点、実)のところと、孤立特異点(白点、虚)のところの音色が明らかに変化したことに気が付きました。
なんでそうしたのかはわかりませんが、なんとなく本能的に無意識がすることは正解であることが多いのです。

ユリイカ!!

これで、フォノグラムの実証ができるかもしれない!

ここまでの経緯は、自分の発想だけでは絶対に至れなかったと思います。
後から考えると、なぜ、振動スピーカーというあまり馴染みのないスピーカーが私のところに持ち込まれたのか?
これが大変不思議としか言いようがないのです。
はっきり言って、私にはない発想でした。
哀れに思ったご先祖様が、神の御業を使って、私にヒントをくれたとしか思えないのです。
かすかな希望に胸が熱くなる思いでした。

当時の私は、死ぬのは構わないが、犬死だけは絶対に嫌だと思っていました。
そのくらい、追い詰められていたと思います。
棚から牡丹餅とは、少し不敬な気がいたしますが、本当にそんな感じなのです。

私がやったのではない。

私がやらせてもらっているんだ。

そう確信した瞬間でもありました。

人は辛辣に自分の人生を歩んでいきさえすれば
それがどんな神秘体験をするよりも宗教的体験になります。

私たちは、本当は誰もが神話を生きているのです。

しかし、これで万事うまくいくわけではありません。
まだまだ気を抜けない状況が続いていきます。


第二章  誰にも見えない音の図形

ところでフォノグラムってなに?
これは、ヴァイオリン制作研究を、「音の作る形状の問題である」と理解したところから生み出された概念でした。
概念といっても、生理的な反応に基づく実態であり、目に目る景色や耳で聴こえる音像と同じくらい、私にははっきりとした感覚なのでした。

*わかりやすいフォノグラム説明動画1

*画像をクリックすると動画を見ることができます。

*わかりやすい説明動画2

*画像をクリックすると動画を見ることができます。

「音を観る」

矛盾した言葉です。

音は聞くものであり、観るのは光のはずです。
観音様の語彙は、ひょっとしてフォノグラムから来ているんじゃないか?
そんな風にも考えましたが、とにかく、誰にも見えない世界が自分だけ見えているとしたら、そりゃ~孤独になります。
そのうち、人の体からも経絡が観えるようになり、経絡の正体は人体のフォノグラムだということが解りました。
わかったところで、誰にどう話したら伝わるのか?
私は、人の身体の神経伝達などを自分の身体にコピーすることが出来ます。
なので、その人以上に、その人の身体の状態が解ったりします。
ちょっと前に流行った海外ドラマ、ヒーローズのピーター・ペトレリのエンパスの能力に似ています。
って言ったところで、キチガイ扱い必至でございますから、なんとかその世界をわかるように実証しなければならなかったのです。


*楽器の経絡?

目の見えない人しかいない国に、たった一人だけ目の見える人がいたら、見えている世界のことを、どうやって説明するのだろうか?
きっと、聴こえたり触れたりできることのアナロジー(比喩)で説明するはずです。
でも、それは、アナロジーでしかなく、本当に見えている世界を描写していない。

こういうことに長年取り組んでいると、説明する気が失せてきます。
現に、私の共同研究者の福永氏は、説明することを諦め、孤独の中に閉じこもってしまいました。
そして、唯一、同じ世界を見ることができていた福永氏がこの世を去った時、本当の試練が私にやって来ました。
たった一人でこの世界に立ち向かわなければならない時が来たのです。
いっそ、全て無かったことにして新しい人生を歩もうか。
そう考えもしました。
そう考えたところで誰にも迷惑を掛けません。
むしろ、やっとあいつは目を覚まして真人間になったのか、と安心されたかもしれません。
しかし、今までの全ては、いったい何だったのかを考えますと、偶然と考えるにはあまりにも合点がいかず、どう考えても必然的にここに導かれているという考えを払拭することができませんでした。

自分の運命は避けられない。
私はこれをやりきるしかないのだ。

そう覚悟を決めました。
風が吹けば一瞬で消し飛んでしまう蝋燭の炎のような状態の中、とにかく前に進むことを選んだのでした。

けれども生活はますます困窮し、研究は進まず、虚しく時間が過ぎていくばかりでした。
研究時間を確保するために、毎日の仕事を選ぶわけにはいきませんでした。
私の選んだ仕事は、PCの移設、設置設定作業でした。
現代の工事現場のようなものです。
ま~日雇い人夫ですな~。
低賃金でこき使われ、徐々に研究する気力も萎え始めました。
毎日、ヴァイオリンをヤスリで一削りすることで、研究しているという事実を作り、とにかく、止めないことを続けていた時期もありました。
徐々に精神的に追い詰められていきます。
本当に、自分だけがこの世界にたった一人取り残されてしまったような
そんな精神状態に陥りました。
それでも、私の精神は、それ以上にタフでした。
茫然自失の状況ですら、冷静に観察している自分がいたのです。
私という人間は、本当に最期の最期まで諦めない奴なんだということが
自分でもわかったのです。

それでもある日、仕事で致命的なミスをしてしまいます。
ミスといっても、ババを引かされただけで、私の責任になってしまったのですが、それでも、そういう状況に追い込まれてしまったのは私の落ち度なのです。
この世の常ですが、責任は弱い立場の者がひっかぶります。
私は、いよいよ自分の命綱である仕事すら失うことになりました。
貯金ももちろんありません。
いよいよ、最期か、、、、。
もういいや、おふくろ連れて旅行にでも行こう。
これで、終わりにしよう。

訳の分からない研究に身を投じ、定職にもつかないで結婚もせず、
親孝行の一つもしていないバカ息子が思ったことは、
せめて、最期におふくろと旅行に行こうと思ったのでした。

仕事のあてもなく、いよいよ完全にチェックメイト。
こうなると面白いもので、あんまりジタバタしません。
おかんを連れて伊勢参拝に出かけました。
神頼みしに行くわけではなく、今までの報告をしに行ったのだと思います。
もうこの辺でいいのかな~
精一杯やれたかな~
これ以上どうしようもないでしょ?


*その時に撮った五十鈴川の風景、秋だったんだな~

宿泊先に向かう道すがら突然、一本の電話が入ってきました。
自分がミスをやらかして現場に居合わせた方が、私に一日だけ仕事があるのだけれどお願いできないかと電話がありました。

一日だけ仕事もらったところで生活はどうにもなりませんが
とりあえず引き受けることにしました。

実は、この一本の電話、一日で終わるはずの仕事を引き受けたことが、転機となります。
今でも覚えていますが、この一本の電話が私のその後のすべてを救ったといっても過言ではありませんでした。

その仕事は、某外資系PCメーカーの修理作業でした。
はっきり言って、作業内容は、30分で終わります。
ねじを回すことが出来さえすれば誰にでもできる仕事です。
訪問先の企業の不具合のあるPC部品を交換するという大変簡単な作業でした。

しかし、ここで思いがけない展開となります。
一日中、訪問先に常駐するのですが、お客様の都合で修理するタイミングが決められるため、一日中待機していても、一台も修理させてもらえない状況が続いたのでした。
そのおかげで一日だけの仕事が、週二日、半年にわたって続くことになったのです。
日当も良く、生活は何とかなり、なにせ、研究するための時間と体力的余力を確保することが出来たのです。

どうせダメだと思って、長引いた命、だったらもう少しやってみようじゃないか!
仕事中は、仕事するふりをして理論研究、仕事のない日は、とにかくヴァイオリンを削って、音と形の関係を探っていました。

そうこうしているうちに、他の仕事も私に回してもらえるようになりました。

その多くが、作業内容は同じであるが、遠方出張というものでした。
これも大変ありがたかったです。
作業自体は30分で終わるのですが、移動の時間が仕事時間のほとんどです。
特に、山陰地方に行くことが多く、島根や鳥取に赴くことが多かったです。
出雲大社や、鳥取大山登山にも行くことができました。

*帰りの高速バスから眺める大山の風景

私にとって移動の時間は、すべて理論研究に充てられ、そして、仕事のない日は、すべてヴァイオリンを削る時間に充てられました。

こうして、止まっていた研究が少しずつ動き出していったのでした。

とにかく止めないということだけが
こういった奇跡を起こすのです。

仕事を頂いている。
研究時間(命)を頂いている。
まだ生かされている。
その後、研究は爆発的に進むことになります。
この仕事にありつけなければ、おそらく研究を進めることができなかったと思われます。

人生の一番辛い時期を越えた!、、と書きたいところですが、
まだまだ越えなければならない困難が待ち構えております。

さ~て、研究に戻りましょう!


*アトリエ風景


第三章  デジタルデータ以外は意味をなさない

耳で聞けば明らかに違いが判るにもかかわらず、物理学者って人種は、それだけでは絶対に認める訳にはいかない人種なのです。
計測可能、比較可能、再現可能なデータとして提示しない限り、証拠を挙げたことにはならないのです。
一応説明しておきます。
計測可能というのは、何らかの測定法があり、計測できるということです。
したがって、人間の体感に基づく差異は、明らかな差異であっても客観性は担保されないということです。
多くの疑似科学は、ここで検閲に引っかかるというわけなのです。
体感を論拠にすることは私にとっては簡単なことであり、また敗北するということでもありました。
体感なら20年前からあったのですから、何も苦労の必要はないわけです。
問題は、体感を持っているのは私と福永さん(共同研究者)だけだったのです。
体感を論拠にすることは、私自身絶対にしてはならないことでした。
なぜなら、こここそが、科学的態度と宗教的態度を別ける分水嶺だからです。
体感を持っているにもかかわらず、体感を論拠にしてはいけないといういじめのような状況を耐え抜いて研究を進めていったのです。
そもそも、なぜ、そんな苦労をしてまで実証の必要があったのか?
人生をかける理由がどこにあるのか?
ここにこそ、新しい人間の在り方と、科学のパラダイムシフトにかかわる大問題が横たわっていることを直感していたからなのです。
それは、前頭葉認知における世界観から後頭葉認知における世界観への移行とも言えます。
私の研究の重要性に気が付いてくれたのは、アカデミーの学者先生様ではなく、キチガイの山田君ただ一人でした。
山田君は、私のことをキチガイの師匠といっております。

話が少し脱線しましたが、元に戻ります。
計測可能性の次は、比較可能性についてです。
データ自体、客観的に比較できる形にしなければ意味がないということです。
つまり、数値であるデジタルデータにしろということです。
デジタルデータというのは、機械で測れるようにするということでもあります。
そして、最後に再現可能性です。
これは、同様な計測方法をしたら同様な結果にならなければいけないということです。
毎回結果が変わってしまったら意味なしということです。

ここから、また考えに考えました。
どうやって、振動スピーカーの音質の違いをデータ化するか?
スペクトルアナライザーというフリーソフトの存在は知っていましたが
大体、周波数分布が時系列に変化してしまい、動いているものを比較し続けるため、客観性に乏しくそのままでは使えないことは明らかでした。
上述した比較可能性の要件を満たすことが出来ないというわけです。
スペクトルアナライザーをいろいろといじくりまわしていると、peakという赤いボタンがあることに気が付きました。
このpeakボタンを押すと、時系列に関係なく、振動数分布ごとの振幅の最大値を維持し続けるという機能があることに気が付きました。

イケる!!

つまり、振動版の各点に振動スピーカーを置き、同一音源を、同一時間流し続けることで、peakの積算値を比較すれば、上記に挙げた計測の条件をすべてクリアするはずであると考えました。
あとは実測してみて、こちらの期待する結果が出てくれるかどうかです。

さっそく計測のための実験装置の設計に着手しました。
といっても、振動板の振動だけを振動スピーカーに反応させる台座を作ることと、収音マイクを設置してスペクトルアナライザーに連動させるだけです。

あらかじめ、同一形状、同一面積のフォノグラムで整えた等音面と、ただの板切れを用意し、各板の任意の9か所を、上記の方法で比較測定することにしました。

計測中、とにかく緊張したことを覚えています。

9か所のデータは、複雑で一見したところ違いが判りません。
グラフを重ねてみて初めて違いが判るのでした。

等音面のデータは、重ねると、見事に一つの振動数分布に収束していきました。
ただの板切れは、重ねると、これまた見事に、振動数分布が異なっていました。
詳細は以下に掲載する論文をご覧ください。

勝った!

20年にわたる苦労が初めて報われた瞬間でした。

フォノグラムを間接的にでも実証したことになったのです。
今まで科学で扱うことが不可能と思われていた領域に、最初のナタを振り下ろしたことになるのです。

その日は、祝杯を挙げました。

普段、酒なんて飲まないのにその時ばかりは自分を解放しました。

手が震えていたと思います。

ここまでの内容を、学術論文としてまとめたのが

第一論文:音の作る形~音響対称性の概念の導入~

です。

以下がその論文です。
論文形式にまとめてありますが、中学生にも理解できるように書いたつもりです。

*上述した振動スピーカーは論文では圧電スピーカーと表記してあります。


◇論文(全文掲載)

                                               音が造る形
                                 ~音響対称性の概念の導入~    

                                                                                      小野田智之
要約
ストラディヴァリに代表されるヴァイオリンの名器 その製作法は未だ謎に包まれたままである.ほとんどの製作者の取る手法は,名器とされる型の寸法を正確に模倣するというものである.こうした発想は,何ら共鳴原理とは関係がない.我々は形から音を決定するのではなく,音(タッピングトーン)から形を決定する方法で研究を進めてきた.これこそ共鳴の原理に立脚した方法であり,等音面(音響的な対称性)なる概念に導かれる.今回,圧電スピーカーを利用する測定方法により,タッピングトーンに基づく制作法が科学的に正当化された.測定により明らかにされたのは,等音面が,見事に共鳴板の各点において同一の振動数分布を示したという事実である.この結果を踏まえて,等音面の実現が,ヴァイオリン制作上の根本原理になりうることを紹介する.

序論
「音楽の世界で,未だに大きな謎になっているのは,過去何世紀かの名高いヴァイオリン作りたちが,制作上の知識としての物理学,音響学より以上のモノはもちあわせていないにもかかわらず,どうして今でもその美しい音色のために,宝物のように扱われる楽器を生み出せたのかということである.」*ヴァイオリンの音響学 C,M,ハッチンス

ストラディヴァリに代表されるヴァイオリンの名器 その製作法は未だ謎に包まれたままである.現代のほとんどの製作者の取る手法は,例えば,ストラディバリやガルネリ・デル・ジェスといった良いとされるモデルの型の寸法を正確に模倣するというものである.こうした発想は,何ら,音の共鳴原理とは関係がないように思える.伝統技術の保存という意味においてはこれで良いのかもしれないが,根本的な原理的説明が未だなされていないし,実は詳しいことは何一つ解明されていない.私は,長年,楽器製作をしてきた経験からあることに気がついた.それは,板の各点におけるタッピングトーンを合わせるように削っていけば,ヴァイオリンのフォルムが自然と一意的に決まってしまうという事実である.
従来の制作法とは,いわば幾何学的対称性(視覚的対称性)をどこまでも追求し,それが音にも良いであろうという方向で確立されており,左右対称で標準寸法でないものは意味がないと思う製作者がほとんどである.この方法は,ヴァイオリンを作る材料が木材という自然物である限り,等質な材料が一つとしてないという理由から,なんら,共鳴の原理とは関係がないように思える.同じ形を完全に実現したとしても,同じ共鳴体を実現できないという意味である.私が取る方法は,そうではなく,タッピングトーンを全て揃える,すなわち音の対称性を高くすることによって形を決めていくという真逆のやり方であり、
「形」が「音」を決定するのではなく,「音」に「形」を決定させるというやり方である.
これこそ,共鳴の原理という自然の法則に叶った方法であるように思える.
ヴァイオリンというのは,美しい弁当箱ではなく,あくまで美しい音色を出すための共鳴器なのだということを忘れてはならない.そして,「視覚的な幾何学的対称性」とこの「音の対称性(音響対称性)」は必ずしも一致しないのである.タッピングトーンとは板を鈍器で叩いた時に聞こえる音である.その時聞こえるタッピングトーンというのは,単音ではなく,複数の音が混ざって聞こえるノイズである.そのノイズの中から,最もよく聞き取ることができる代表音を選び,同じ音のする場所をプロットしていく.(出来れば聞き取れる音全てに施す.)板全体にわたって,この操作を施していくと,板の各点に対応した音の分布図のようなものが出来上がる.こうして出来上がった図形を音の図形という意味でフォノグラムと呼ぶことにする.音楽においては、協和関係にある音の組み合わせのニュアンスの違いを、コードによってラべリングしている。音楽的経験を積みさえすれば、ニュアンスの違いは瞬時に違和感として身体に伝わってくる。
フォノグラムは、いわば、共鳴板の各点におけるタッピングトーンをコードに見立て、それらをすべて協和関係で結んでいくという技術なのである。
和声理論に厳密に従うという意味において、フォノグラムは音楽的技術である。
             

*左は等音面ではない.図の渦巻きは,部分等音面どうしの境目にできる.これは,CのコードとC#のコードはそれぞれ別々の時には協和関係にあるが,同時に響かせると不協和音になってしまうことと事情は同じである.右は等音面である.この時,いわゆるヴァイオリン製作における標準寸法に収束していく.*

このフォノグラフムを元に,板の各点が同じタッピングトーンになるように成形していけば,そうして出来上がったものは等音面とでもいうべきものであり,その時,ヴァイオリンのフォルムが自然に一意的に浮かび上がる.従来の製作法がどのようなものであれ、音の対称性に基づいて形を作るという方法は、私の知る限り存在していない。紙面の都合上、伝統技術の先行研究や、データなどについては、参考文献という形で代表的なものを挙げておいた。一応科学的な測定などの結果が記載されているが、結論としては何一つわかっていないということである。*このフォノグラフィックな製作法は,熟練した耳と正確に削る木工技術があって初めて可能になるものであり,このままでは科学の体をなさない.そこで,私は,タッピングトーンを耳で聞くのと同様な客観的測定法を編み出した.それは,圧電スピーカーを聴診器代わりに使い,タッピングトーンで聞き取っていた響きの違いを再現性のある客観的な方法で測定するという方法である.圧電スピーカーとは,それ自体では共鳴せず,周囲の共鳴体に接触することにより共鳴するという性質のスピーカーである.異なる共鳴体に接すれば,異なる音響を示す.同一音源のCDを流せば,耳でもはっきりと違いが判る.この共鳴の違いを,マイクで集音し,それをスペクトルアナライザーでデータ化し,共鳴状態の違いを比較する.共鳴状態の違いは,振動数分布状態の違いとして視覚的に比較することができる.今回,この方法で調べたことは,フォノグラムの方法で実現した等音面は,共鳴板の各点における振動数分布が、見事に同一の分布状態を示し、そうでない共鳴板の各点における振動数分布は全く異なる分布状態を示したという結果である.異なる振動数分布を示すということは,異なる響き方をするものが一つの共鳴板内に同居していることと同じである.これは,お互いが協和関係になければ,必ず不協和音やひずみ,うなりを引き起こす.これが俗にいう音色が濁っているということである.これを,同一共鳴体において,すべての点で同じ響き方をするようにすることは濁りのないよい音色の楽器を作るための必要条件であることがわかる.つまり,等音面の実現が,長い間謎とされてきた楽器制作上の一つの答えを与えるのである.

*共鳴板が等音面に近づくと,フォノグラム図形の渦巻きがなくなり,対称な図形になっていく.この方法で作られた等音面が文字どおり,共鳴板の各点において同一の振動数分布になることを科学的測定によって実証する.*

実験方法とその概要

0.実験の概要
共鳴状態を調べる方法は,有名なものでクラドニ法というものがある.
これは,各固有振動モードに対応して,振動の節に砂が集まることによって,図形が浮かび上がるというものである.また,スペクトルアナライザーなどの振動数分析のような方法もある.
しかし,それらの分析法が,良い共鳴板を作るのに役に立つということはなく,それによって何か新しいことが解明されるというわけでもない.
この実験では,新しい響きの量というものを定義し,客観的に響きの違いを測定する方法を提案するものである.各点における異なる共鳴状態,言い換えれば異なる振動数分布が同一共鳴板内で同居している状態では,音楽的な和声理論に従えば,不協和関係の濁った音色やひずみになる.等音面が,楽器製作のみならず,音響機器一般の制作技術において必要条件足りうるのはこういった理由からである.
ここは重要なポイントなので再度強調しておく、等音面以外は、和声理論と共鳴の原理に従えば、不協和成分やうなりが必ず生まれてしまう。これは論理的必然である。
以下,実験方法を具体的に示していく.

1.実験の目的
一つの共鳴体の中で,共鳴板上の各点において,一般的には共鳴状態、すなわち振動数分布が異なることを示す.また,フォノグラムの方法で成形された等音面が,共鳴板全域にわたって,ひとつの共鳴状態(振動数分布)になっていることを示す.また,実験の本質を浮かび上がらせるために,最も単純な円板を採用した.

2.実験方法

A. 圧電スピーカーを聴診器がわりに用いる

*圧電スピーカーは共鳴状態の違いを曲の音色の違いとして出力してくれる.実験では最も単純な円形で行う.*

実験は,圧電スピーカーを用いて行う.
圧電スピーカーとは,それ自体では音が出ず,周囲にある共鳴体に振動を伝えることで
初めて共鳴し,音を出すことのできるスピーカーである.当然,共鳴状態が異なるものに対して,圧電スピーカーを接触させれば,異なる音色を出す.この性質を利用して,固定端の定まった同一共鳴板上の各点に対して,圧電スピーカーを聴診器がわりに使い,振動数の分布状態,すなわち「響き」の違いを検出する.

B. CD音源を試薬のようにして響きの違いを検出する
この時,スピーカーから流れる曲を聞けば,場所によって音色が全然違うことが耳で聴けばすぐにわかるが,スペクトルアナライザーを用いてデジタルデータにすることによって,視覚的に比較することにより,客観性を持たせることが可能になった.使用する曲は,CD音源を使い,計測時間,音量など,測定条件,測定環境を全て同一にすることにより,実験の再現性を保証した.CD音源はどんな曲を利用しても良いのだが,響きの違いがはっきりとわかるような曲を選んだほうが良い.基本的にはこの実験が曲目に依存することはないが,化学実験における一種の試薬のように,よく反応を示す曲とそうでないものがある.
共鳴版の各点において,響きの違い,音色の違いを検出したいわけであるから,いろいろな曲で同一の測定をすればよい.
我々の目的は,等音面においては響き,すなわち振動数分布の違いが,共鳴版全面にわたって見られないということを示すものであり,等音面でないものは,全くバラバラな振動数分布になっていることを示すことにある.
この時,iTunesを利用した.また,曲目については
J.S.Bach の Sonata for Flute and Harpsicode In A 1(BWV 1032) Vivance
{Aure Nicolet}を採用した.特にこの曲を選ばなければいけない理由はない.
図のように共鳴版の各点に圧電スピーカーを設置し,音源をある一定時間流し,それを
マイクで収音する.
収音した音をスペクトルアナライザーにかけてデジタルデータにし,視覚化する.

C.スペクトルアナライザーのPEAK表示機能を利用して比較する
スペクトルアナライザーはフリーウェアーのweb spectra を使用した.
設定値は以下の通りである.
縦軸 DBモード  レンジ 120DB
横軸 リニア  範囲0~20000HZ
にした.
計測時間は30秒にした.これも違いが検出しやすいように工夫する.縦軸が振幅で,横軸が振動数分布であるわけだが,時間とともに変化し続けているのでそのままでは変化をおうことができず,比較することができない.そこで,縦軸の振幅のピーク値だけを残す表示法を利用する.そうすれば,ピークの積算値を視覚的に静止画として比較できる.これは,各点における共鳴状態の違いを客観的に表すものである.このグラフを元にすれば,各点の響き方の違い共鳴状態の違いが検出できるというわけである.

*響きの異なる2点の比較,明らかに振動数分布が異なる.音が合うように削るとは,このグラフがぴったり合うように削るという意味である.*

D.測定における注意事項
集音マイクの位置やマイクの角度によって,測定に若干の誤差があった.マイクの位置は,正確に圧電スピーカーの真上に垂直に設置するようにしておく.測定誤差について,同じ測定を二回続けて行った,測定誤差がどの程度あるのかということを調べておいた.この程度の誤差は誤差として扱えるし,実験は十分に再現性のあるものであるという結果でもある.圧電スピーカーの接触面は,両面テープ出引っ付くようにしてある.不必要に圧電スピーカーを抑えたりすると,響きの状態が変わってしまう.両面テープで自然に張り付いている状態で図るように注意する.テープの粘着力が変わったらすぐに,テープを張り替える.

結論および考察
実験結果より導かれる結論として,まず挙げられるのが,同一共鳴板上において,
異なる共鳴状態が複数存在するという事実である.クラドニ法などの固有振動モードを計測したり,固定端が決まっていれば,共鳴板内の振動の様子がすべて分かるという従来知られている方法ではこの事実はわからない.

*等音面でない板は,固定端(外枠が同じでも)各点の振動数分布は全く異なっていることがわかる。
図5-Bは、図5-Aのグラフの最も異なっている3枚を重ねたものである。
いかに振動数分布がお互いに異なっているか確かめることができる。*

また,タッピングトーンを板全体にわたって揃えていくという,フォノグラムを利用した方法により,等音面を実現した.
フォノグラムの図形変化に着目した制作法は,いわば音楽的な和声理論と,それに伴う身体の生理反応を利用して書き取ったものである.私がタッピングトーンを聴いて,それを各点同じにするように形を削っていくという説明を試みるとき,必ずと言っていいほど「厳密さに欠ける」という印象を相手に与えざるをえない.
タッピングトーンは,なにか,鈍器で共鳴版を叩いた時に出る音であるが,これを再現性のある計測で置き換えたものが圧電スピーカーを聴診器替わりにした測定法なのである.
スピーカーから出ている音を振動数分析し,デジタルデータとして視覚的に比較できる.
ある一定時間の周波数の振幅の積算は明らかに客観的な響きの違いを反映した量として利用することができる.等音面というものが文字どおり,共鳴版の各点において同じ振動数分布を示すことが実証された.       

*等音面において,共鳴板の各点における振動数分布が同一のグラフに近づいていくことが確かめられる(図6-A)。図6-Bは図6-Aの任意の3枚をかさねたものである。*

圧電スピーカーによる振動数分布の測定により,等音面というものの存在が実証された.
これは,フォノグラムの実在性を保証するものであり,また,そうした人間の感覚を使った方法が,驚くほどに正確な等音面を実現するということの証明でもある.これは音の対称性であり,音響対称性と呼ぶことにする.
しかし,実験結果が綺麗に出たのは,そのように私が作ることができるからであって,
フォノグラムを使いこなせなければ,依然として等音面を作ることはできないのである.
等音面においては,共鳴板の各点における振動数分布のグラフは全く同じ分布状態になる.
この共鳴板の各点に付随する複雑なグラフをどうすれば一致させることができるのだろうか?仮に削る音やタッピングトーンをマイクで集音し,その音を解析し,そしてマシンに削らせるというCADがかりにあったとしても,フィードバックループにより、すぐにカオスの問題が発生してしまうことが予想される.これは工夫でどうにかなるような問題ではなく,原理的な限界であることは周知の事実である.
実は,これを可能にすることができるのは精密な機械ではなく,音楽を理解することのできる生身の人間なのである.人間という「音楽というものを理解できる生命体」が,この複雑な操作をいとも簡単にやってのけるのである.協和,不協和という感覚は物理学によっては説明することができない。これらは、人間の生理的反応に基づいて説明されるべきものである。これがフォノグラムを書くことを可能にしている.この,協和,不協和の快,不快という生理学的事実に普遍性を認め,厳密に理論化していったのが和声理論である.この事実に普遍性を認めなければ,そもそも音楽という芸術が成り立たない.この和声理論を,証明なしの公理として認めることは,客観性を第一にする科学の立場からは批判を浴びるかもしれない.
今までは,そう言いながら遠慮をしてきたが,今回の実験はそれを公理として認めて良いという科学的根拠になり得る.この協和,不協和の快,不快という生理学的反応による識別が,上の二つのグラフの複雑な振動数分布の違いを,二値化して,単純な情報に変換することを可能にしているのである.フォノグラムは,人間の身体的な生理反応を利用し,高性能な分析器として働かすことによって書きとっている図形なのである.
今回の圧電スピーカーによる実証実験により,こうした人間の感覚を利用した方法が曖昧でないばかりでなく,使い方によっては,機械以上に精密な結果を出すということの証明なのである.序論において,名高いヴァイオリン作りたちが,製作上の知識としての物理学,音響学より以上のモノはもちあわせていないにもかかわらず,どうして今でもその美しい音色のために,宝物のように扱われる楽器を生み出せたのかということ問題の出発点とした.
今回の実験事実が示すことは,従来の音響学が見落としていた点を明らかにし,全く新しい音と形の関係性,すなわち音響対称性を示したことにある.また,そうして出来上がった等音面は,音楽というものが理解できる生身の人間だからこそできる技術であることも重要な事実である.そしてそれは,科学的な計測結果とも一致した.こうした事実は,従来の要素還元主義的な科学的発想の中にはないものである.今回の実験事実が従来科学の適応限界を押し広め,今まで手が出せなかった領域の解明に向かうための確かな足場になり得ることを期待するものである.
音響対称性による等音面の実現は,良いヴァイオリンを作るための少なくとも必要条件であるということが結論さた.

今後の研究,技術的応用など
技術的応用
良い音を作るためには等音面の実現が必要条件であることを見てきた.
この方法はヴァイオリンなどの弦楽器はもちろんのこと,全ての楽器製作に応用できる.また,スピーカーボックス,アンプなどのオーディオ機器などの製造にも応用できる.
また,音響対称性によって実現された等音構造は,いわば一点にかかったストレスを全体で受け止めるしなやかで強い構造体でもある.
音と形の新たな関係性を見出したことから,建築などの設計原理や,家具などのインテリアなど,形に関するすべてに応用することが期待できる.
音響対称性による等音構造というものは,こうした音と形に関するインノベーションになり得る.

今後の研究
今回の実証実験を踏まえて,フォノグラムとの図形変化との対応関係を明らかにすることができる.また,音響対称性という概念をより厳密化するために,フォノグラムの数理的研究に着手する.理想等音面,音響対称性が最も高い状態の振動数分布は一体どのような分布に収束していくだろうか?
少し考えればそれはホワイトノイズ型になるだろうと予想される.
こういったことを命題とし,実験事実と論証によって,厳密な演繹体系を構築していくのが今後の研究課題である.

*等音面によって作られたスピーカーボックス.形のバリエーションは無限に存在すると思われる*

また、本論文の当然の帰結として、なぜオールドヴァイオリンの名器に非対称な楽器が散見されるのかの合理的説明が可能になる。対称に作れないのは制作技術がなかったのではなく、そうすることで音響対称性を実現し、等音場を構成した結果、視覚的な左右対称性が失われたのである。ヴァイオリンの4本の弦は全てテンションが違う。この弦張力が楽器全体に応力を発生させる。これに対するカウンターバランスを作らなければ等音場は構成できない。この事実は、いにしえのヴァイオリン製作家が音から形を決めていたと思われる間接的な証拠であることが推察される。

参考文献

バイオリン製作 今と昔 1、2/ ヘロン アレン
Violin Making as it was,and is 1,2 / Heron Allen/ アート光村
楽器の科学②バイオリンの音響学/ C.M.ハッチンス/ 日経サイエンス社
楽器の音響学/ 安藤由典/ 音楽之友社

                           (掲載終了)


◆第四章  冷たい世間の反応

何人かの学者先生に論文を読んでもらったり、学界の発表を行いました。
そして、はっきりしたことは、この人たちに何を言っても意味がないと感じたことでした。
ある時、私のこの論文が、ある人物を介し、著名な物理学者の手に渡ることとなりました。
大変興味深いということで、他の研究も知りたいという連絡がありました。
そこで、この論文を仲介していた人物が、私の断りなしに、ブログ:フォノグラム(音の図形)を紹介してしまったのです。

案の定、疑似科学の烙印を貼り、手のひらを返したように向こうが手を引きました。
そりゃそ~~だ。
私は、安易に、ブログを紹介した仲介者のセンシティビティーのほうを疑いました。
もっとうまくやれよ!ってね~。
この仲介者、実はもちお君なんです。
この事件も、アカデミズムっていうのがどういう行動原理で動いているかを象徴している事件なのです。
当時、もちお君は、まだ、半分はアカデミズムの住人、半分は真実の住人という立ち位置でした。
詳しくは書けませんが、なんでもその物理学者は、疑似科学を撲滅するための組織の中心的人物であり、しかも、その疑似科学撲滅運動の先端に立つ科学者の言った言葉が「疑似科学っぽい」です。

「っぽい」っていう言葉こそ、科学者の使う言葉じゃね~だろ!

その後、ちょっくら頭にきたので直接、その物理学者とメールのやり取りをしました。
だっておかしいでしょう!私が公に提出したのは論文だけで、それは十分評価しておいて、ブログ記事読んだら手のひら返すなんて。

他の学会でも同様のおかしな助言をいただきました。
「東洋医学の研究はしないほうがいい。インチキ臭く思われるからやめたほうがいい。」

真実はどうかはどうでもよく、インチキ臭く思われることが問題なのです。
これが科学者の考えることなのか?

そのメールのやり取り今でも残してありますが、
ある意味、本人からの返答は誠実なものでした。

内容的にはこうです。

「ノーベル賞を獲得した学者でも、論文掲載がリジェクトされるのが常だから、あなたのやるべきことは論文を送り続けることだ。」

という励ましの言葉でした。
立場上、励ましすことはしても手助けするつもりはないということでもあります。

学者さんというのは、学問のために命を投げ出す人種ではなく
学問をネタに、飯を食っているという人たちなのだということが
しみじみわかりました。

そして、学問の徒である学生たちも、結局ほしいのは社会的権威なのです。
権威の傘の下にいたのでは、真実など見えるはずもないのです。

また、別の物理学者さんにも自分の書いた3篇の論文の査読をお願いしました。
この方は、ある学会の学会長さんでした。
感想はひとこと「大変、興味深い」とだけあり、残りは3ページにわたって国語の添削のようなものでした。
私の完璧な論文に手を加えろと指示してきたのです。
私にしてみれば、どこの一文を切り取って書き直したとしても、意味のないものになってしまいます。
魂を抜けと言っているように聴こえました。
いや、魂を売れです。

私の論文を英語に翻訳してくれた方が、私の論文を称してこのように言ってくれていたことも書いておきたいと思います。
もちろん、その翻訳者(10か国語の言語を操る)は、学術論文専門の翻訳もしていた方です。

「いろいろな学者さんの論文を翻訳してきたが、
こんなに論理の整合した論文を読んだことがない。」

私は、話すべき相手を初めから間違えていたのだと気が付きました。

そりゃそうだよね~ガリレオが教会に認めてもらおうなんて思わないよね~
私は、どこかの権威によらず、自分の研究を私の名前のみに帰属させることに決めました。
私の研究は”捧げもの”でなくてはならないのです。
もちろん、勝手な疑似科学呼ばわりは心外なので、もし、どこそこの学会に出てきて発表しろというのであれば、喜んで伺います。

正直なところ、内心かなり傷つきました。
自分で得た勝利の感覚とは裏腹に、私の現状はますます困窮する一方でした。

そうはいっても生きていかなくてはならず、何とか研究成果を直接お金に換える方法を考えました。

そうだ!特許申請しよう!

等音面理論は、応用上すべての楽器、音響機器に有効な基礎理論です。
きっとスピーカーにしたら誰か買ってくれるんじゃないかな~


*等音面スピーカーの原盤

なんだかスケールは小さくなりますが、それでも希望がないよりはましです。
特許申請のために、全力を尽くすことにしてみました。

また、なんとか、学術振興会なんかの研究費をもらえないかということもあり、特許取得が有効に働くのではないかと淡い期待もしていました。

人間というものは、ドン詰まりの状況でも微かな希望にすがって生きていけるものだということを知りました。


◆第五章  特許申請ゲーム

等音面の特許取得を目指し、まずは、商工会議所が主催する、弁理士の無料相談に出かけました。

某有名音響メーカーの専属弁理士さんが、研究論文に目を通した瞬間、手を引くといってきました。
これは、素直にうれしい反応でした。
ある意味で価値が認められたということでもあります。
次の弁理士さんを紹介していただいたのですが、私は、すぐにその方にお願いすることに決めました。
なぜかは解りませんが、その人だと直感しました。
その前の人は手を引き、次の人が私の探していた人なのです。
背後の導きを感じざるを得ない体験でした。

「ところで、特許というものは物理法則にはかけられないんです。
だから、等音面自体に特許をかけることはできないんです。」

「そうなんですか、、、、」
と思いながらも、うまい考えが絶対にあるはずだと、何かが心の奥でささやきます。

「また来週伺います。」

といって、その場を去りました。
ここから一週間、凄く頭を使いました。
研究しているときの素直な頭の使い方ではなく、
もっと狡猾な頭の使い方です。
狡猾であることが赦されるのは、それを上回る結果のエレガントさです。

等音面の検査法に特許をかければよい!

みかんの糖度計というのをご存知でしょうか?

みかん自体に特許はかけれなくても、糖度計に特許をかければ、みかんに特許をかけたことと同じになります。

それと同じように、等音面の検査法に特許を掛ければ、等音面自体に特許をかけることになるのです。

そして、本質的にその検査法は一つしかないことから、かなり強い独占権が生まれることになります。

最終的に特許を取得したのは5年後の2018年の春です。


*この特許が今後、何かの役に立つかどうかはわかりませんが
かーちゃんは喜んでいました。(おかん:菊の御紋が神々しい!
それでいいや~(おにょ:お尻の穴でしょ?)

世間の反応って奴は、どこまでも私を嫌な思いにさせました。
学会発表したとか、特許取得したとか、そういったものには異常に反応するのですが、私自身や研究そのものには関心が無いようでした。
そういったなかで、幾人かの方が接触してきました。
某スピーカーメーカーの方とお会いすることになりました。
私にとって、ヴァイオリン制作は、フォノグラムの実証研究の単なる題材であり、制作法の解明はしたものの、職人として生きていくつもりは全くありませんでした。
また、フォノグラムや数学の研究をしていると、自己紹介しても面倒くさいことになることがほとんどで、いつしか、自分の紹介をするとき、ヴァイオリンを造っています。って話すようになりました。
少なくとも、相手に悪い印象を与えることはないですし、嘘を言っているわけでもないのでこれで良しとしていました。

ヴァイオリンを一艇制作するのに、平均でどのくらいかかるか知っていますか?
平均150時間といわれています。
一日5時間制作に当てたとしても30日かかってしまいます。
週二日の休みと、雑務などを合わせますと、最低でも一月半かかってしまうというわけです。
フォノグラムで制作する場合、もう少しかかってしまいます。
効率で考えれば、商売にはなりませんし、私にはやるべき研究が山のように残っていました。
どうしたら研究費を稼ぐことができるのだろうか?
そんな時に、スピーカー開発の話が舞い込んできました。
スピーカーって、高価なものになると300万くらいするものもあるそうです。
実際に自分の耳で聞きに行ったのですが、現代テクノロジーを駆使したようなシステムと重厚な外観を備えていました。
しかし、原始的な等音面スピーカーと音自体を比べると、むしろこちらのほうが良いと思いました。

売れるスピーカーとは?

どんどんスケールの小さな話になっていきます。
科学のパラダイムシフトにために研究してきた人間が、生活するために売れるスピーカーについて考えるようになっていました。
こんなことをしていていいのだろうか、、、、?
そんな思いも心のどこかにありました。

スピーカーの買い手がどこに目をつけるのか?
それは、スピーカーの観念的な説明書と、ゴージャスな外観と重量感です。
残念なことに、音の良し悪しがわかる耳の良いユーザーはほとんどいません。
また、重量感を出すために、わざと重りを内蔵させることもするそうです。
説明書には、いかに、このスピーカーがあらゆる周波数帯にまんべんなく反応できるかという説明が事細かく書いてあります。
しかし、そうであっても、生理的に耳で聞く音質と、物理的に測定できる数値とは乖離があることにユーザーは気が付きません。
結局は、マーケットが欲しがるものを作らなければ売れません。
本物か偽物かは関係がないのです。
偽物でも売れればよい、それが世間の常識にような現代社会ですから、私のような人間の居場所なんてあるわけないのです。

つまり、等音面スピーカーは売れない。
ヴァイオリンの世界も全く同じです。
自分に嘘をついてお金を稼ぐぐらいならば、一生、コンビニのアルバイトしながら研究していたほうがマシだと思いました。

自分はこんなことをするために研究してきたのではない

これじゃダメだ!


◆第六章  天啓を頂く

等音面の実証論文をすぐに書き上げ、その後、すぐに2本の論文を書き上げました。
たった1年で3本の論文を書き上げたのですが、一日3時間睡眠で執筆作業をしていたと思います。
なにせ、20年分の研究が、等音面の実証のお蔭で、一気に片付けることができたのです。
数学的な表現の突破口が見つかり、確率過程量子化法を用いて等音面を数学理論に仕上げることができました。
出来上がることを待っていたかのように、体が悲鳴を上げだしました。
緊張の糸が切れたように、体が不調になっていきました。
睡眠時間が極端に短くても集中力は切れることは無かったので、とうとう自分は人間の限界を超えたのだと思っていたのですが、そうではなく、すでに体が壊れ始めていたのでした。

全てに疲れてしまいました。

書き上げた論文と特許の権利全てを、もちお君に託し、自分は、研究から身を引こうと思い始めていました。

そんな折、知人の紹介で、ある人物に会うことになりました。
整体の先生で、私の研究を見せたらどうかという提案をしてくれました。
その時の私は本当にもう疲れ果てていたのであまり乗り気ではありませんでした。
もうどうでもよくなっていました。
気力がなくなって分かったことは、絶望するにもエネルギーが必要なのだということでした。
私にはもうそのエネルギーすら残っていなかったのです。

「会うだけは会うよ、せっかくだから、ありがとう。」

そんな感じで、その方とお会いすることになりました。
すると、その世話人の女性が、先生と、私と会食の場を設けましょうと提案してくれました。
「ま~いいか~、先生のお話を聞いて、うまいもの食って帰って寝よ~」

そんな感じで会食の場に向かいました。

案の定の展開で、無事にその場が終わり、世話人の女性が先生をお迎えに来られました。

その折、その世話人の女性とほんの少しお話しする機会がありました。

フォノグラムの話をすると、その方が

「私はもとシステムエンジニアで、何万桁もあるプログラムのソースコードのバグを一瞬で見つけることができるんです。」

という話を伺いました。

面白い!

そして、後日、その女性から連絡を頂き、お会いすることになりました。
ここからが私の人生にとってもっとも不思議な一場面になります。

その女性が突然不思議なことを語り始めました。

「おにょさんに出会ってから、ずっとオジーちゃん先生が私のところに来て、すごい勢いで話してくるんです。すごいスピードでまくしたてられて何話しているかわからないくらい。それが、毎日、毎晩続いているんです。」

そのオジーちゃん先生の話を伺った瞬間、私の数学の恩師であることがすぐにわかりました。
すでに故人であることから、その方が、霊界と通信できる能力者であることが解りました。

それまで、霊能者といえば、インチキかスピ、もしくは能力者気取りの偽物しか知りませんでしたが、その方の能力には驚かされました。

私と先生しか知らない話を知っていたのですから!

「今日は、そのオジーちゃん先生がおにょさんに伝えたいことを伝えに来ました。
変な人だと思われるかもしれないけど聞いてください。」

「今までのおにょさんの傍には先生が常に付き添ってくれていたんです。ずっと傍から研究を手伝ってくれていたんです。せっかく今まで苦労して成し遂げた研究成果や特許の権利を誰かに渡してしまうことだけは絶対にしてはいけない!
おにょさんは、小野田智之という名前一つで立たなければダメなんです。」

私は涙が流れるのを必死でこらえていました。

また、私の後ろには、たくさんの世界中の学者さんがついており、私の体を借りて仕事をしたがっている。
みんな順番待ちしていることも伝えられました。

これにもすぐに合点が行きました。

本を読む理解力も、ひらめきや物事の本質を見抜く目も、自分だけの能力とはとても思えなかったからです。

そして、今生の私の役目を伝えられました。

私は、この時代に降ろされたダウンローダーの一人であり、科学とこころのバランスの調整者になる役目を担っているということでした。

なんでも、人類は過去7回にわたり滅亡しているらしく、私は、その回避の役目のために、その時だけを選んで転生してくる魂らしいです。

今回が滅亡回避の最後のチャンスであり、それを無意識が知っていたからこそ、人生のすべてを研究に捧げることができたのです。

滅亡の原因はいつも同じで、心が育たないまま、科学だけが進歩することなのだそうです。

まさに私の研究の内容そのものです。

この女性との出会いが自分の人生のもう一つの転機になります。

その後、ホームページを作っていただき、今の教室運営につながる基礎を作っていただきました。

私の人生の恩人です。

「いつか、おにょさんのような人をたくさんプロデュ-スして、一堂に集めて学校を作りたいんです。
そこに世界中の子供たちが無料でアクセスでき、好きな教育を受けることができる。そんな学校を作りたいんです。」

そう仰っていました。

いつしか、その夢を私自身が持つようになりました。

その時のご恩に報いるためにも精いっぱい自分のできることに邁進したいと思います。
あれから3年ほどの歳月が流れたのでしょうか?
生徒の数は徐々に増え、ワークショップ、講習会など、多くの皆様のおかげで今の私が存在しております。
このHPが誕生したのは昨年の暮れですが、12KENやKENTに至るまでに
このようなエピソードがあったのです。
孤独に歩んできた半生は過ぎ去り、
これからは皆さんとともに手を取り合って歩んでいこうと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。


◆おわりに

フォノグラム狂騒曲エピソード1、いかがだったでしょうか~?
まだまだ書き足そうとすればいくらでも話はあるのですが、それはまたの機会に。
今回の記事で扱いきれなかった、等音面の確率過程量子化法による数学表現については、次回以降の記事で解説していこうと考えております。
この小説風の記事で一番伝えたかったこと、それは、人間はみな生かされており、気が付いていないだけで多くの縁者、故人に助けられているということなのです。
これは、皆さん同じです。
本当に私たちは気が付いていないだけで、過保護にされているのです。
自分は自力で生きていると思っていても、本当は生かされていただけなんだと気が付いた時、感謝せずにはいられない思いで胸がいっぱいになります。

親の心子知らず。

私がフォノグラム研究を育てたのではなく、
私が研究によって育てられたのだと思います。

いつかこの世を去るときに、何を思うだろうか?
私は、全てに感謝して逝くことができるように
毎日を生ききりたいと思います。

そして、すべての方との一期一会を本当に大切にして生きていきたいと思います。

私にとっては、皆様との出会いも奇跡なのですから!

最期までお読みくださりありがとうございました。

まだまだ人生も、研究も続いていくことでしょう。

ではまた!

                   小野田智之               10/24/2018